【はじめに】長女がASDの診断を受けるまで

この記事では、私がここで「長女がASDの診断を受けるまで」を振り返ろうと思った理由や経緯について、「三山さん」と一緒に語っています。

ぜひ、こちらの自己紹介を先にお読みください。

目次

長女がASDの診断を受けた時期

あおいちゃんは、いつ自閉スペクトラム症(ASD)の診断を受けたんでしょうか?

あおいが3歳11カ月の頃なので……2016年です。あおいが幼稚園に入園する直前に、はじめて受診した発達外来で診断を受けました。

2016年というと、10年前ですね

そうですね。今年(2026年)の3月で、あおいが自閉スペクトラム症の診断を受けてから丸10年になります。

この10年間は、あおいちゃんの母親である芳井さんにとって、あっという間でしたか?それとも長い年月だったでしょうか?

今は、あっという間だったとは思えないですね。色々な経験をして、たくさん悩んで……私も老けました(笑)。でも、子どもたちがもっと大きくなってから振り返ったら、あっという間だったと感じるかもしれません。

ブログをはじめたいと思った時期と理由

診断から10年経った今、「あおいちゃんが自閉スペクトラム症の診断を受けるまで」をブログで振り返ろうと思ったのはなぜですか?

最初にあおいの自閉スペクトラム症について、ブログで発信してみたいと思ったのは、あおいが診断を受けるよりも前なんです。児童発達支援センターの療育に通いながら、市の発達相談を利用したばかりの頃なので…‥2015年。あおいが3歳4ヶ月の頃です。

その頃は、「あおいは自閉症かもしれない」という思いと「いや、きっと違う」という思いの間でかなり葛藤していて。毎日、スマホで自閉症について検索しまくっていたら、「うちの子は自閉症です」という方のブログをいくつか見つけたんです。

それを見て私は、「もし、あおいが自閉症の診断を受けたら、私もブログを書こう」と思いました。こんなふうに「うちの子は自閉症です」というテーマでブログを書いて発信すれば、混乱してパニックになっている私の頭の中が少し整理できて、冷静になれるかもしれないって思ったんです。

ブログをはじめるまで診断から10年かかった理由

ではなぜこのタイミングで「あおいちゃんが診断を受けるまで」をブログで振り返ることにしたんでしょうか?

「うちの子は自閉症です」というテーマでブログを書いて発信したい———という思いは、ずっと持っていたんです。でも、あおいが自閉スペクトラム症の診断を受けてから、私がこのブログをはじめるまでには10年かかりました。

おもな理由は、次の3つです。

  • 自閉スペクトラム症の診断を理解できなかった
  • 知的障害の診断にモヤモヤしていた
  • 母親なのに何もわかっていなかった自分に向き合えなかった

理解できなかった自閉スペクトラム症の診断

自閉スペクトラム症の診断が理解できなかった……というのは、診断が受け入れられなかったということですか?

もちろん、受け入れられなかった部分も大きいです。私には「我が子に障害があるなんて信じたくない」という気持ちもかなりありました。でも、今振り返ってみると、「受け入れられない」「信じたくない」という気持ちと同じくらい「理解できない」という部分も大きかった気がします。

最初に「もし、あおいが自閉症の診断を受けたら、私もこんなふうにブログを書こう」と思ったときには、私は病院で「自閉症です」と言われれば、自分がそこで納得するものだと思っていました。でも、実際には違ったんです。

病院で「自閉症です」と言われても納得できなかったんですか?

はじめて受診した病院の発達外来で、先生は「あおいちゃんは自閉症です」とは言いませんでした。

先生は「あおいちゃんは、自閉スペクトラム症の特性があります」と言ったんです。でも、私はその言葉の意味がよくわかりませんでした。

言葉の意味がわからない……というのは?

まず「自閉スペクトラム症」という言葉もよく分からなかったし、「特性」という言葉の意味もよくわかりませんでした。

主治医の先生の「自閉スペクトラム症の特性があります」という言葉が、診断を告げる言葉だということが、当時の私には理解できなかったんです。

えーと、でも、診断を受ける前からインターネットで自閉症についてかなり検索して調べていたんですよね?

そうですね。ただあおいが診断を受けた2016年頃は、診断基準となっているDSM(アメリカ精神医学会が作成している、精神疾患の診断基準・診断分類)が2013年に改訂されて「自閉スペクトラム症」という診断名が採用されてからまもない時期でした。

そのためか、ネット上では「自閉スペクトラム症」よりも「自閉症」という言葉の方を多く見かけたんです。

でも、ネットで多く見かける「自閉症」と、主治医の先生から言われた「自閉スペクトラム症」が同じものなのかどうか、当時の私にはよくわかりませんでした。

「自閉症」と「自閉スペクトラム症」という言葉の違いがわからなかったということですか?

そうですね。理解できていませんでした。

それに私は、「特性」という言葉を、人に対して使う場面に遭遇したのもはじめてだったんです。

それまでの私が知っていた「特性」は、例えば「鋼の特性」とか「絹の特性」というように、モノに対して使う言葉という印象が強くて。主治医の先生に言われた「自閉スペクトラム症の特性」の「特性」意味も、あまりピンときていなかったんです。

主治医の先生は、詳しく説明をしてくれなかったんですか?

説明はしてくれたんですが……。当時の私は、先生の説明を聞いてもますます混乱しただけでした。

だから私は、しばらく「あおいが自閉スペクトラム症の診断を受けた」ということを理解しないまま、あおいと発達外来に通っていたんです。それは「様子見」の状態なのだと思っていました。

自閉スペクトラム症の診断を自覚したきっかけ

芳井さんはあおいちゃんが「自閉スペクトラム症の診断を受けた」ということを、いつ理解したんでしょうか?

はじめての発達外来で「自閉スペクトラム症の特性があります」と言われてから、半年後です。通っていた幼稚園の先生から「診断書が欲しい」と言われたことがきっかけでした。

幼稚園の先生は、どうして「診断書が欲しい」とおっしゃったんでしょうか?

その時はわかっていませんでしたが、後になって補助金の関係だったのだと知りました。

発達障害などが理由で特別な配慮を必要としている園児を保育する場合、私たちが暮らす自治体では園に補助金が出るんですが、その申請のために診断書が必要だったんです。だから本来なら、入園するときにこちらから診断書を提出するべきでした。

でも、入園のときには、私はまだあおいが自閉スペクトラム症の診断を受けたことを理解していなかったんです。だから、「診断書を提出する」なんてことには考えが及びませんでした。

それでは、幼稚園の先生から「診断書が欲しい」と言われた時は、どのように対応したんですか?

内心、すごく動揺しました。「えっ?うちの子は、診断を受けているわけじゃないんだけど……」と、幼稚園の先生から診断を受けている前提で話があったことに、私はショックを受けたんです。

でも、通院していることは園にも伝えていたので、なんとか平静をよそおって「わかりました。病院で聞いてみます」と答えました。それで、自分では「様子見」のつもりで通院していた発達外来で「幼稚園の先生から診断書が欲しいと言われているんですが……」と主治医の先生に話したんです。

「あおいちゃんは、診断がついているわけではないので、診断書は出せません」と言われるだろうか?それとも「幼稚園の先生がそうおっしゃるなら、ちゃんと診断をつけて診断書を出しましょう」って言われるだろうか?

そんなふうに考えて、私はかなり緊張していました。

ところが、主治医の先生の返事は、とても短くて軽いものだったんです。

主治医の先生は、なんとおっしゃったんですか?

「あっ診断書ですね。はーい」って、それだけでした。

それで、主治医の先生がカチッとマウスでパソコンの画面をワンクリックすると、診察室の奥にあったプリンタから、「ウィーン」とすぐに診断書が印刷されたんです。そこに先生がサラサラっと署名をして、ポンっとハンコを押してくれて。

「どうぞ」って、一瞬で渡してくれました。

その瞬間に、「あ、あおいは、もうとっくに診断を受けていたんだ」と気がついたんです。

なるほど……。それでは、芳井さんはそこではじめてあおいちゃんが自閉スペクトラム症であることを理解したんでしょうか?

いえ、そうではなかったんです。

確かにその時、あおいが自閉スペクトラム症の診断をすでに受けていることは理解しました。でも私は、「あおいは、本当に自閉スペクトラム症なのかな?」という思いは、それから何年も持ち続けていたんです。

私が本当にあおいが自閉スペクトラム症なのだと納得するまでには、診断を受けてからから5年かかりました。

モヤモヤしていた知的障害の診断

あおいちゃんが受けた自閉スペクトラム症の診断について、芳井さんが納得するまでに5年もかかったんですね

そうですね。3歳11ヶ月で自閉スペクトラム症の診断を受けて、私が「この子は自閉スペクトラム症なんだ」と心から納得できたのは、あおいが8歳の頃でした。

その頃にもあおいちゃんの自閉スペクトラム症について、ブログで発信したいという気持ちはあったんですか?

ありました。でも、あおいの自閉スペクトラム症の診断に納得できても、私にはまだモヤモヤしていることがあったんです。

どんなことですか?

あおいの知的障害の診断についてです。

あおいちゃんは知的障害の診断も受けていたんですね

はい。あおいが3歳11ヶ月で自閉スペクトラム症の診断を受けたときには、主治医の先生は「知的障害はない」という認識だったようです。でも、それから約1年後に発達検査を受けて、その結果「中度知的障害」の診断を受けました。

芳井さんは、あおいちゃんが知的障害の診断を受けることに納得できなかったんですか?

うーん……。知的障害の診断を受けることが納得できていないわけではなかったです。発達検査の結果だったり、普段の適応力だったり、あおいには年相応にできないことがたくさんあるというのは、私にもわかっていたので。

でも、私が「あおいは自閉スペクトラム症なんだ」と診断から5年かかって納得できた頃、あおいは小学2年生だったんですが、在籍していた支援学級で受けていた知的障害児向けの授業の内容には、違和感がありました。あおいには逆効果と感じるような支援もあって……。

あおいが知的障害の診断を受けて、知的障害児として支援を受けることが、「本当にこれで合ってるのかな?」って。モヤモヤしていたんです。それに、あおいの自閉スペクトラム症と知的障害の診断は、別々にわけて考えられるものでもない。そんなふうにも感じていました。

だから、そんなモヤモヤを言葉に整理して発信することが、当時の私にはできなかったんです。

そうなんですね。今は、あおいちゃんは知的障害の診断が外れているということですが……

そうですね。中学生になって知的障害の診断は外れています。あおいが13歳、2025年からです。

あおいちゃんの知的障害の診断が外れて、今は納得されていますか?

うーん……。納得する部分もありますが、知的障害の診断が外れたら外れたで「これでいいのかな?」と不安に思う気持ちもあります。

母親なのに何もわかっていなかった私

私がなかなかブログをはじめられなかったもう一つの大きな理由は、「母親なのに何もわかっていなかった自分に向き合えなかった」というものです。

私は、何もわかっていなかった頃の自分が、あまりにも痛々しくてちゃんと向き合うことができませんでした。

痛々しい……ですか

そうです。私は長女が生まれてからずっと育児日記をつけていたんですが、それを読み返すのにはかなりの勇気が必要でした。

母親が我が子の発達障害に気がつくのには、二つのパターンがあります。一つは母親自身が最初に違和感を覚えて気がつくパターン。もう一つは、周囲に指摘されて気がつくパータン。

私は、圧倒的に後者だったんです。

1歳半健診で発達の遅れを指摘され「要観察」になっても、児童発達支援センターの療育に通うことになっても、私はまだあおいに何か障害があるかもしれないなんて思っていませんでした。

あおいが3歳2ヶ月の頃に私は次女を出産したんですが、その頃から母や夫の口から「発達障害」や「自閉症」という言葉を聞かされるようになって。私はそこでようやくあおいに障害がある可能性を真剣に考えはじめたんです。

お母様やご主人が、芳井さんよりも先にあおいちゃんに障害がある可能性を指摘されていたんですね

そうなんです。

あおいが生まれてから幼稚園に入園するまでの間、私は24時間ずっと一緒にいて、誰よりも近くにいた。それなのに、日中は仕事でそばにいない夫よりも、別々に暮らしていた母よりも、あおいの障害に気づけなかった。

私はそんな自分をずっと責め続けていました。

私は、我が子のことを、何もわかっていなかった。誰よりも近くにいたのに。母親なのに。

そんな思いが、心に深い傷として残っていて「何もわかっていなかった自分」を振り返ることが、私はものすごく辛かったんです。

そうなんですね……。そんなふうに自分を責める気持ちというのは、あおいちゃんの自閉スペクトラム症の診断に納得してから生まれたものですか?

うーん……。ちょっと違います。

私は、我が子のことを、何もわかっていなかった。誰よりも近くにいたのに。母親なのに。

そんな思いは、最初にあおいに「障害がある可能性」を真剣に考えはじめたころから常に心の片隅にありました。だから、診断を受ける前からです。

「あおいは自閉症かもしれない」という思いと、「いや、きっと違う」という思い。それから「私は母親なのに、何もわかっていない」と自分を責める気持ち。全部が、心の中でグチャグチャに混ざり合っていました。

正直、今でも「自分は母親なのに何もわかっていなかった」という思いは、心の傷として残っています。

「母親なのに……」という思いが、心の傷になっているんですね

そうですね。でも、長女が自閉スペクトラム症の診断を受けてからの10年間、色々な経験をしたり勉強をしたことで、「しょうがないよ」って思えるくらいにはなりました。

しょうがないよ。母親だからこそ、わからなかったこともある。わからなかったからと言って、我が子への愛情がなかったわけではない。あなた自身も、自分の自閉スペクトラム症の特性で苦労しながらも、全然気がついていなかったんだから。

そんなふうに自分自身に言ってあげられるようにはなったんです。

ご自身にも自閉スペクトラム症の特性があることに気がついて、「しょうがない」と思えるようになったんですね

はい。自分自身にも自閉スペクトラム症の特性があると気がついたことは大きかったですね。でも、そうでなかったとしても、やっぱり「娘が自閉スペクトラム症であることを、母親である私がちゃんと理解すること」は簡単ではなかった。診断から10年経った今、振り返ってみてもそう思います。

このブログで向き合いたい「どうして?」

それでは、あおいちゃんが自閉スペクトラム症の診断を受けてから10年経った今、どんなブログを書いていきたいですか?

今でも私はあおいのことを全て理解しているわけではないですし、わかっていないことも、モヤモヤしていることもいっぱいあります。

でも、診断から10年たった今、ここで「あおいが生まれてから診断を受けるまで」を振り返ることで、考えてみたいことがあるんです。

それはどういったことですか?

あらためて「どうして私には、あおいが自閉スペクトラム症だということが、なかなか理解できなかったんだろう?」ということを考えてみたいんです。

そうすることで、私の「自分は母親なのに何もわかっていなかった」という心の傷とちゃんと向き合って、それを今後の人生の糧にできればいいなと思っています。

まとめ

この記事では、私がこのブログをはじめた理由や経緯についてお話ししました。次の記事からは、長女が0歳の頃の育児日記を振り返っていきます。

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この記事を書いた人

1982年生まれ。
3歳差の姉妹を育てている主婦です。
ここでは「長女が生まれてから自閉スペクトラム症(ASD)の診断を受けるまで」を育児日記をもとに振り返っています。

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